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私のこだわり

はじめにご理解いただきたいこと
文鳥は人間によく慣れます。
ヒナから挿し餌して育てれば、ベタベタの手乗りにもなってくれます。それが嬉しくて文鳥にはまってしまう人も多いと思います。そんなかわいい文鳥が長生きできるようにするには、徹底した生活管理と健康管理が必要だという人もいます。たしかに、懐こいにぎり文鳥は良いです。すごくいいです。とてもよくわかります。だからそういう飼い方をする人たちを否定するつもりはありませんし、私の考えを押し付ける気など毛頭ありません。文鳥に対する愛情は人それぞれだと思うので、確実にマニュアルどおりでなくても飼い主個人が責任を持てば、いろいろな飼育法があってもいいと思うのです。
やっと自立した飼い主に
私が自立した一飼い主として文鳥を飼いはじめたのは2002年の夏からです。
それまでは私自身も親の元、文鳥とおなじように(ペット=「思い通りになるもの」として)扱われていました(笑
ですので文鳥と同レベルに扱われている人間が文鳥飼育に関して何を言っても「飼い主様」に通じるはずはなく、鳥たちが事故に遭ったり逃げ出したりしても私が意見することは許されず、大変歯がゆい日々を送っていました。
文鳥たちが哀れな目に遭うのは決まって私が外出中のことでした。家には必ず人がいましたが、彼等は文鳥がおぼれて死んでいても気付かず、また逃げてしまっていても気付きませんでした。
発見したときは時すでに遅し、です。

私は2002年夏に親元を離れるのを期に文鳥を譲り受けましたが、このときも文鳥飼育に関しての干渉がすごい!(勿論それ以外の干渉もはんぱではない。)年末に今の住居に逃げてきてからやっと、自立した生活ができるようになりました。こういうことって経験者じゃないと理解不可能なことかもしれないので、このことについてはこれ以上は言及しませんが。
というわけでやっと民主主義の社会に自立できたので、このサイトでは遠慮なく発言させていただきます。

ちなみに、私は2度ばかり文鳥を逃がしてしまったことがありますが、そのときは責任を持って確実に捕獲しました。
1度目は初代のメスコちゃん。彼女を追ってハダシで木に登り、通行人に白い目で見られ大変恥ずかしい思いをしました。が、そんなことはどうでもいいのです。無事に捕まえられたんだから。
2度目はカプーチョ。これは2002年8月27日の日記にあります。
文鳥飼育におけるこだわり
私は、非手乗りの文鳥が好きです。なぜなら、私から離れていてくれるからです。
文鳥好きな人は文鳥がよく慣れてくれて、まるで恋人のように慕ってくれるから好きだといいます。1羽飼いならなおさらそうなるので、1羽飼いにこだわる人もいます。
その感覚はある種、犬に近いものがあるような気がします。実家では犬を飼っていたことがありますが、私はあの期待に満ち溢れた眼差しがなんとも耐えがたく、どうしても好きになれませんでした。
これを言うと、つまり私は『猫的な飼い方』を好むということになるかもしれません。文鳥もちょっと離れていてくれるのがちょうどいいのです。最初は荒鳥でも時間が経つにつれてだんだん馴れてきて、個体差はありますが2年も経つ頃には「セミ手乗り」くらいにはなってくれます。「セミ手乗り」だと、もとの警戒心を全て失ったわけではないのでそれなりに自立していて、しょっちゅうかまってほしいベタ馴れの文鳥よりもずっと気楽にいられる上、そのほうが鳥らしさを失わないと思うのです。

文鳥は人間が飼いならし愛玩鳥としてしまったので、屋外では生きていくことができません。さらに手乗りとして育てると、それ自体が運動不足の原因となり、外の鳥と比べると、当然ですがあまり飛べない鳥になってしまいます。文鳥が愛玩鳥である以上は仕方がないことなのかもしれませんが、それでも私はできれば鳥本来の姿を忘れてほしくないと思っています
今いる2羽の文鳥のうち、1羽は人間に育てられたけれども私がショップに迎えに行くまでずっと放し飼いでカゴに入れられたことのなかった鳥(ちびこ)で、もう1羽は鳥に育てられた完全な荒鳥だけどカゴのなかで育ったので飛び方をしらなかった鳥(カプーチョ)です。我が家では基本的には放し飼いにしていますが、危険に敏感で身体能力が高く、なおかつ利口で学習能力の高いのはずっと放し飼いだったほうです。無論、個体差はあると思いますが。
荒鳥だったカプーチョに最初は手乗りの訓練をしようかと思ったのですが、飛び方もろくに知らないままに手乗りの訓練をするのもかわいそうだと思い、ここはちびこにまかせて様子を見ることにしました。最初は警戒心ばかりが強くてなかなかうまくいきませんでしたが、2ヶ月もする頃からだんだん人間の様子がわかってきたようでした。10ヶ月経った現在は腕のり文鳥にまで成長しました。
放し飼いは危険、という人からするとなんて酷い飼い主だ、そんなのはエゴでしかないと言われるかもしれませんが、文鳥、つまり愛玩鳥を飼うということ自体がすでに人間のエゴです。それをカゴに閉じ込めておいて、人間の都合で出して遊ばせる(または遊ぶ)のもまた強烈なエゴです。
しかしいずれの環境においても、そこで生活する文鳥にとってはそれが自然のこととなるのではないでしょうか。
私は「なげやり」とか「ほったらかし」ではなく、自由主義にこだわりをもっています。

勿論、すべての文鳥を放し飼いにすればいいとは言いません。ベタ馴れの手乗りの文鳥は人為的に警戒心をなくされているので、ある程度の生活管理は必要です。一度ベタ馴れになってしまうと、集団生活でもしない限りは警戒心が戻るということはあまりないようです。
この点では私はごまちゃんに本当に申し訳ないことをしてしまったのです。私がこのサイトを開設した理由のひとつにも、ごまちゃんのことがあります。忘れてはいけない。彼女は手乗りでした。


食べ物についても言及しておかなければなりませんが、これについては私が書き出すよりも、まるで私の考えを代弁するかのような素晴らしくまとまったファイルがあるのでそちらをご紹介します。
「おやつの理屈」(HP『文鳥団地の生活』より)
なお、これはおやつを推奨する類のものではないことをご了承おきください。
文鳥の一生は「太く、なるべく長く」に共感。



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