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鳥遍歴

幼少の一番古い記憶をたどってみると、どうやらそこにはトリがいた。
記憶が断片的で時期は定かではないが、おそらく私が1歳〜2歳くらいの頃。
居間の鳥かごの中にウズラがいたような記憶がある。
おそらくそれが、私が鳥類を認識した初めてのときだったのだろうと思う。

その次に見たのはチャボだった。
私は3歳から保育園に通ったが、その前からチャボがいたようだった。
父がチャボ小屋を建て、その中にオンドリもメンドリも入っていた。
小屋の前面に網をはっていたが、何度かそれが野良猫や野犬によって破られ、何羽かのチャボが犠牲になった。

また、家の近所には鳩小屋があった。
よく祖母と一緒に散歩をしたのだが、近くを通るたびにグルグルと唸るような鳴き声が聞こえていた。
しかしその鳩小屋は大きな台風の日に屋根が飛ばされてしまい、
次の日に見に行ったときにはもう、鳩はほとんど残っていなかった。

最初数羽だったチャボは繁殖して十数羽になった。
閉じ込めてばかりいるとストレスになって弱いものをつつき始めるので、日に数時間は庭に放した。
それでもやはりつつかれるものもいて、顔や目のあたりから血を流しているものもいた。
そんなチャボには父が軟膏を塗ってやったり目薬をさしてやったりしていた。

ある日のこと、野良猫がチャボたちを襲い、驚いた彼等はアチコチに飛び立ってしまった。
家の庭から500メートルはあるだろう小学校のグラウンドまでとんだものや、
行きつけの酒屋さんの前の道まで飛んでいったものもいれば、
裏の家の植え込みに嵌ってしまって抜け出られなくなったものもいた。
しかし彼等は皆、親切な人々の通報によって無事保護された。
(当時我が家は住宅街の中でたくさんのチャボを飼っているので有名だったらしい)

あまりに増えてしまったのと、オンドリが朝うるさいのとで、
チャボたちを里子に出すことになった。
手元にはメンドリを2羽だけ残し、あとは方々へもらわれていった。

実は私はこのときまではさほど、鳥に対する愛情や愛着はなかった。
ただ、鳥の存在は生活の中で当たり前のものであった。


残されたチャボは、黒と茶色。
黒いほうはなかなかかしこいチャボで、茶色いほうはノンビリしたチャボだった。
彼女たちはほぼ毎日卵を産んだ。なので、家ではあまりタマゴを買ってくる必要がなかった。
あるときは家の縁の下にもぐりこんで、タマゴを8個も抱えていたことがあった。

タマゴを拾い集めるのはわたしの仕事だった。
ニワトリの卵よりひとまわり小さい肌色のタマゴは、チャボの散歩中に産み落とされることが多かった。
どこぞの山に登ったときの杖が、タマゴを集めるのにちょうどよかった。
縁の下や、植え込みのなかにかくれているタマゴを
その杖で引っかいてとるのだ。

チャボを飼っていて得をしたことは、なにもタマゴだけではない。
彼等は庭の雑草を食べてくれるのだ。
つまり草むしりをしなくて済む。さらに、あちこちに鶏糞をおとしてくれるので、
庭の植物に肥やしをやる必要もなかったし、畑の肥やしをわざわざ買ってくる必要もなかった。

この頃になると、人間が朝起きると鳥小屋をあけて出してやり、
夕方になると彼女たちは勝手に小屋に戻った。

やがて、茶色いほうが死んでしまい、黒いほうだけがとりのこされた。
私が小学校3年生くらいのころだったと思う。

私は黒いチャボを「こっこちゃん」と呼び、とても大切にした。
学校から帰ってくると、いつもこっこちゃんと遊んだ。
彼女は「手乗り」でこそなかったが、腕や肩に乗せても逃げようとせず、じっとしているいい子だった。

こっこちゃんはきれいだった。
ただ黒いだけではなく、首のまわりに白い斑点があり、とてもつややかで
雨が降ってきてもその美しい羽がはじいて、全然濡れなかった。
そしてそのトサカの立派なこと。
彼女はもちろんメンドリであったが、オンドリと間違えるくらいの
立派なトサカをもっていた。


「ニワトリは、三歩あるけば全部忘れる」
これは嘘である。
こっこちゃんは大変賢かった。

呼べば来るし、彼女だって寂しいときは人間を呼ぶのだ。
彼女はだれか家の者をさがして、家に入ってきたことがある。
「トートートートー・・・」と鳴きながら、しゃなりしゃなりとはいってきたのだが、
その鳴き声はまさに、人間がこっこちゃんを呼ぶときに出す音だった。

また、彼女は猫が来ても飛んで逃げださなかった。
この頃には庭に番犬を飼うようになっていたので、猫がくると
かしこい彼女は犬のそばに逃げるのだった。


こっこちゃんはとても上品で優雅なチャボに思えた。
歩き方、身のこなし、エサの食べ方、羽の模様まで、どれをとっても文句のつけようがない。
そして彼女は決して人間をつつかなかった。



あるとき、母がどこからかチャボの若鶏を2羽もらってきた。
やっとトサカがはえてきたくらいの、黄色と白の若鶏だった。
やがてこっこちゃんはこの若鶏をしたがえるようになった。

しかし、彼等がやってきたことで、こっこちゃんの美しさ、賢さがきわだつことになった。

若鶏はばかだった。
きっとこれが一般的な「ニワトリ」と称されるものなのだろう、とおもった。
両方ともメンドリだったが、とても粗野で羽にツヤはなく、
白いほうはタマゴを産んでばかりで温めようともせず、いつもひょこひょこしていた。
黄色いほうはどんどん凶暴になっていった。
なにしろ、エサの食べ方が激しい。こっこちゃんとは比べ物にならないほど乱暴だった。
私が手の平からエサをやると、ものすごい勢いでつついて食べるので、いつも血が出た。
さらに彼女たちは、自分で産んだタマゴを割って食べてしまうという、
なんとも獰猛なチャボだった。

そして、全然人に馴れなかった。
私はこの若鶏を、ちっともかわいいと思わなかった。

やがてこっこちゃんは老衰で死んでしまった。
ある朝、鳥小屋を開けにいってみると、こっこちゃんが片方の羽をだらんとくずして
目を閉じて死んでいた。
立派なトサカも色が失せ、萎びたようにたおれていた。

どれほど悲しかっただろうか。
あんなにかわいい、美しいこっこちゃんが死んでしまうなんて。


その後、取り残された若鶏たちには私は興味を示さなかった。
彼女たちは自分たちの世界があって、決して人間に近づこうとはしなかった。

そうしているうちに、家の者もそのチャボたちに愛想をつかし、
どこぞにいるチャボの群れに放してしまった。




チャボを放してしまってからも、うちの庭には鳥がたくさん来たので淋しくはなかった。
木にみかんを刺しておくと、シジュウカラやメジロが喜んで食べた。
庭で飼っていた犬のエサをねらって、鳩やヒヨドリ、ムクドリなどがやってきた。
(うちの犬は鳥だけでなく、猫やネズミをも養っていたようであるが。)

そして、母が庭に来るキジバト(山鳩)に餌付けをして、
ついに手からエサをとって食べるようになった。
そして彼等は家の中まで入ってくるようになった。
人間になれたキジバトは、私の手からもエサをとって食べた。

また、傷を負って庭に落ちていた鳩やスズメをひろって看病した。
なぜかうちの庭にはよく鳥が落ちていた。

ヒヨドリのヒナも拾った。
ヒヨドリのヒナもやはり傷を負っていた。

彼(彼女)はピジラと名づけられた。
警戒して、ギャアギャア鳴くのだ。その迫力たるや、ゴジラ並み。
そして、エサをやろうとすると攻撃する。つつかれると、かなり痛い。黄色いチャボと同じくらい。
ピジラは、ウズラのおさがりのカゴに入れられて(なんでまだとってあるんだ。。)、
傷が治るまで我が家で面倒をみた。

やがて傷が治る頃になると、ピジラも警戒心を解いてきたのか、
人の手からエサをとって食べるようになった。
そして傷がすっかりよくなったところで、再び放してやった。


その後は私が大学生になるまでは、特に鳥を飼うということはしなかった。



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